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Beauty Parlour 思い出のディープ産駒その13


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先月、Fancy Blueがフランスのオークスで勝利しました。そして、次走のナッソーステークスでも、年上の馬たちを相手に優勝。

海外でディープの名を再び高めてくれました。

 

海外で走っているディープ産駒はそれほど多くありません。でも、その少ない産駒の中から複数の馬がクラシックレースに優勝し、能力の高さを示してくれています。

 

海外でのディープ産駒の活躍を見て、クールモアやエリザベス女王などの大物生産者が所有する有力牝馬を日本に送ってくるようになりました。

そして、ディープと交配させるという、一昔前には考えられなかった現象も起こりました。

 

その全ての始まりとなったのは、今日ご紹介するBeauty Parlourの活躍だと思います。ディープ産駒が走り始めた初期の頃に、海外で父の名を高めてくれた功績は本当に大きいです。

 

Beauty Parlour

 

2009年2月28日生

父 Deep Impact 母 Bastet 母父 Giant's Causeway

馬主 Wildenstein Stables Limited  

E. Lellouche厩舎→Sir Henry Cecil厩舎

通算成績 7戦4勝

主な勝鞍 2012年プール・デッセ・デ・プーリッシュ(GⅠ)、2012年グロット賞(GⅢ)

 

 

Beauty Parlour(以下、ビューティーパーラーと表記します)はディープの2世代目の産駒です。

日本ではディープブリランテジェンティルドンナが同期で、同じ2012年に日本でもフランスでも産駒がクラシックタイトルを獲得し、大興奮した思い出があります。

 

馬主のウィルデンシュタイン家は、ディープが種牡馬入りした当初からディープに注目していたようで、所有する牝馬を日本に送っていました。

ビューティーパーラーの母、Bastetもその一頭です。

 

Bastetは2008年に日本でディープとの初めての仔、Barocci(以下、バロッチと表記します)を産み、ディープと再び交配した後にイギリスに戻り、ビューティーパーラーを産みました。

 

全兄のバロッチはリステッドレースには勝利したものの、重賞レースで勝利することはできませんでした。

でも、全妹が活躍したこともあって、引退後にスウェーデン種牡馬になることができ、現在同国で活躍馬を送り出しています。

 

ちなみに、ウィルデンシュタイン家が生産したディープ産駒には、もう一頭活躍馬がいます。

バロッチと同じ年に生まれたAquamarineです。母はAngelita。2011年、3歳時にデビューし、翌年4月には重賞のアレフランス賞(GⅢ)で優勝しました。

そして、10戦3勝という成績で、2012年に4歳で引退しました。

 

今回調べてわかったのですが、Aquamarineは引退してからこれまでに3頭の子供を産み、そのうちの2頭が勝ち星を挙げています。

2015年にアイルランドで初仔を生んだ後、フランスに移ったようで、2016年と2017年に生まれた産駒はフランス産と表記されています。

 

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胡麻油さんによる写真ACからの写真

 

ビューティーパーラーは2歳時の2011年9月にフランスでデビュー。デビュー戦を勝利で飾り、次のレースでも勝利して、2歳時の2戦を無敗で終えます。

 

3歳になり、2012年4月のグロット賞で復帰。このレースでも優勝し、重賞勝ち馬になりました。

そして、その次走がフランス版の桜花賞と言われているGⅠのプール・デッセ・デ・プーリッシュ。このレースでも勝ち、無敗のクラシックホースになりました。

海外でのディープ産駒初のGⅠ勝利でもありました。

 

このレースがきっかけで、海外での種牡馬のディープに対する評価が高まったと思います。クラシックレースで勝ったんですから。

 

その次のフランスオークスでは惜しくも2着に破れましたが、今年、Fancy Blueがこのレースで勝ってくれました。

 

フランスオークスを勝った後、ビューティーパーラーはフランスのE. Lellouche厩舎からイギリスのSir Henry Cecil厩舎に移籍します。

 

ウィルデンシュタイン家に拠点を広げたいという考えがあってのことだったらしいです。

でも、私は当時フランスでせっかくうまくいっているのだから、よその厩舎に移さないほうがよいのではないかと思っていました。

その懸念は結局的中してしまい、移籍後は2つのレースに出走しただけで、勝利を挙げられませんでした。

 

Sir Henry Cecil調教師はフランケルを管理していたことで有名で、長年に渡る功績により、イギリス王室からサーの称号を授与されました。

ビューティーパーラーが移籍した後まもなく病気で亡くなられたので、その後は奥様が後を引き継ぐことになりました。

 

ビューティーパーラーは2013年5月、イスパーン賞に出走したのを最後に引退しました。

引退する時に、Sir Henry Cecil調教師の奥様の名前で、

「これだけの牝馬を、移籍後1勝もさせられなかったのは残念だ」

というメッセージが出されていたのが記憶に残っています。

 

ビューティーパーラーのお勧めのレース

やはり、まずはフランス版の桜花賞と言われているプール・デッセ・デ・プーリッシュでしょうね。その前哨戦のグロット賞もお勧めしたいです。

 

それまであまり海外のレースを見たことがなかったので、当時は興味深かったです。

 

ビューティーパーラーの魅力

 ビューティーパーラーは海外で走っていたため、日本の産駒達のように多くの情報を得ていたわけではありません。

それで、レース映像以外のエピソードはほとんど知らないのですが、ディープ産駒らしい素晴らしい末脚を見せていたことはよく覚えています。

海外の仔も国内で走っている仔のように、ディープの能力をしっかり受け継いでいるのだと思いました。

 

冒頭でもいいましたが、海外で父の名を高めてくれた功績には心から感謝したいです。

 

ビューティーパーラーは引退後に繁殖牝馬になりますが、オーナーだったウィルデンシュタイン家の事業縮小により、2016年にアメリカの牧場に売却されました。

同年に出産した牝馬も同じ牧場に売却されています。

 

ビューティーパーラーはこれまでに3頭の産駒を生んでいます。

売却時にお腹の中にいたKingman産駒のEdge of Victoryが、先日ディープ産駒のHidakaとフランスのレースで対戦しました。

残念ながら、どちらも勝つことはできませんでしたが。

 

海外にいる仔はどうしても情報が少ないですが、これからもずっと元気でいてほしいと願っています。